山本隆弘さんは、元バレーボール選手ですが、かなり変わった経歴の持ち主ですね。
中学生の時には158㎝だったのですが、突然バレーボール部から声がかかって、競技と接点ができます。
その後ですが、結局日本のエースとして登りつめることに。
山本さんの中学・高校の競技の経歴などについて詳しく書いてみました。
山本隆弘のプロフィールを書いてみた
山本隆弘
元全日本男子バレーボールの山本選手にお越しいただきました!#AXF #展示会#元全日本男子バレー#山本隆弘 選手 pic.twitter.com/pGGi4UyQjS
— AXF staff (@axf_staff) February 27, 2020
生年月日 | 1978年(昭和53年)7月12日 |
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出身地 | 鳥取県鳥取市 |
出身中学校 | 鳥取市立東中学校 |
出身高校 | 鳥取県立鳥取商業高校 |
出身大学 | 日本体育大学 |
所属先 | パナソニック・パンサーズ(2001~2013) |
日本のバレーボール史に残る活躍をされている山本隆弘さんですが、多くのエピソードをお持ちです。
山本さんの経歴を少しずつひもといていきたいと思います。
山本隆弘の出身地 鳥取市について
鳥取県鳥取市
鳥取市と言えば、典型的な日本海側の気候でして、冬季には豪雪で有名ですね。
春から秋には好天が多いのですが、冬季は曇りや雨・雪が多い地域となります。
そして地図で見れるように、海から内陸寄りに鳥取市が広がっているために、他の山陰の都市と比較すると、積雪量が多いことで知られています。
鳥取県で有名なことと言えば…
鳥取砂丘
流行りにのっかって。w
タテ写真でブワっと広がる砂丘のスケール感。タップしてその美しさを感じてみてください。#鳥取砂丘 pic.twitter.com/TsPne2fRui
— 柄木孝志 写真集「24hours」発売中 (@karakky0918) May 17, 2020
天然記念物に指定されていて、山陰海岸国立公園を形成しています。
二十世紀梨
おはようございます
鳥取県湯梨浜町の「東郷町二十世紀梨を大切にする町づくり委員会」が2004年に制定
七(な)四(し)で「なし」
梨、美味しいよね🤣#梨の日 pic.twitter.com/2NwW5klJ6J
— Kodai (@hosisora315) July 4, 2019
青梨の代表的な品種の一つであり、鳥取県の特産品ですね。
千葉県松戸市で発見された品種ですが、二十世紀を代表する品種になって欲しい!という願いから、この名前になったいきさつがあります。
鳥取市出身の有名人と言えば
☆ 沢田研二さん
若いときの写真みると似てるもんなあ。志村けんで観たかったけどね。
✍️ 沢田研二が志村けんさん代役で14年ぶり映画主演https://t.co/6N33hpRwik pic.twitter.com/Qd9jPkwLPP
— せきめぐ (@sekimeg) May 15, 2020
元ザ・タイガースのボーカリストで有名であり、両親の実家である鳥取市で生まれて京都で育っています。
☆ 蓮佛 美沙子さん
蓮佛美沙子が大奥に出演でお義父さんと呼ばせてでブレイク中!!沢尻エリカとの姉妹役がヤバイ理由とは!? https://t.co/860nQtAGC6 pic.twitter.com/DvZzE9JjCv
— オーマイジー!! (@omyjee7) May 22, 2020
NHKの連続テレビ小説など、ドラマ・映画で活躍されています。
山本隆弘とバレーボールとの出会いは?
山本さんのバレーボール歴を調べますと、ホント、人生どこで何が起こるかわからないって感じですね。
トップクラスのアスリートともなりますと、小学校の頃からスポーツ少年団で才能を見出されて…そんな経歴の人が多いのです。
ところが、山本隆弘さんは中学2年生のときに、ようやくバレー部と接点ができるのです。
当時、山本さんは身長が158㎝しかなく、もともとは陸上部に所属していたのですね。
そのころ、友人から「バレー部には部員が一人しかいなくて、来てもらいたい」と勧誘を受けたというのです。
バレー部は、パスの練習をするにも、ひとりではさすがに無理ですので、なんとか2人にしたい、というリクエストだったようですね。
ということで、中学校の時に、2人だけのバレー部に参加したのが馴れ初めということになります。
しかも、身長が高いから、というわけではなく(当時は158㎝ 中学生としては普通だと思います)、単に人手集めで呼ばれたのですね。
ところが、今度は山本さんの身体に大変な異変が起こるのです!
山本隆弘は中学時代に身長が30㎝伸びた!
ちょっと、信じられない話になりますが、山本隆弘さんは中学時代で、身長が30㎝も伸びる!という大変化に見舞われます。
もともとが158㎝ですから、一気に190㎝近くまでになってしまうのでした!
鳥取市立東中学校のバレー部は、二人きりだったのですが、徐々に人数が増えて6人になっていきました。
そして、強いとは言い難かったかもしれませんが、中学生ながら190㎝のバレー選手というのは、やはり一流高校の監督の目に止まります。
鳥取県では、バレーボールの名門校として鳥取商業があるのですが、その監督の目に止まり、鳥取商業に進学してバレーを継続することになります。
(左利きだったのも、これまた良かったのかもしれません)
陸上部からバレー部に移ったときには、もう何をどうしたら良いのかさっぱりわからず、最初は女子のバレー部の真似から入ったという、山本選手が一転、一流高校バレー部にスカウトされることに。
1年の春からレギュラーとなり、3年連続でインターハイ出場を果たします。
全国に出て、高校全日本を見渡しても、やはりサウスポーのアタッカーは山本隆弘さん、ただ一人。
この希少価値とやる気・根性でメキメキと実力をつけ、高校の監督のすすめで日体大に進みます。
そして2001年に、高校時代から声をかけてくれていたパナソニック・パンサーズに入ります。
2004年シーズンの4月からプロ契約となり、真の日本代表への道を歩み始めます。
2002年 24歳時 | 世界選手権出場 |
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2003年 25歳時 | ワールドカップ出場 MVP ベストスコアラー |
2006年 28歳時 | 世界選手権出場 |
2007年 29歳時 | ワールドカップ出場 |
2008年 30歳時 | 北京オリンピック出場 |
プレミアリーグ MVP |
輝かしい経歴を刻みつつ2013年(35歳時)に惜しまれつつ、現役を引退され、解説者などを務めておられます。
まとめ
山本隆弘さんの経歴をまとめました。
- 出身中学校は、鳥取市立東中学校
- 出身高校は、鳥取商業高校
- 出身大学は、日本体育大学
- 所属チームは、パナソニック・パンサーズでした。
当時、数少ない左利きのアタッカーで、日本の男子バレーボールに大きな足跡を残されました。
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